杵徳会
吉祥寺・下北沢・池袋 |
ご紹介 |
杵屋徳桜が師事する、杵屋徳衛の一門です。
大正~昭和期にかけて活躍し、別派樹立した母方の祖父・三世杵屋勝吉の衣鉢を継ぎ、昭和58年(1983)に流儀を再興、名を改め三代目として家元となりました。 |
特徴 |
杵屋徳衛の新進性・先取性(新案の楽譜を開発したり、斯界で最初にホームページを開設するなど)を反映し、闊達な空気に包まれた流派。
古典曲でも現在では汎用化し単純化された手附が広まる中、大正から昭和前期まで残っていた本来の手を伝える。
徳衛の、古典曲の演奏における表現力・技術力は、斯界随一との評判も高く、乞うて入門する熱心な者が多い。
徳衛は新作の創作活動もしているので、現代邦楽の演奏、箏や鳴り物との合奏指導も受けられる。 |
活動 |
他のご流儀同様、温習会、名取の勉強会など、演奏会活動。流派の演奏会では、現代邦楽なども上演する。
学校教育にも精力的に参加しており、グローバルな視点からの講義は好評を博している。
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ルーツ |
現家元・杵屋徳衛の祖父・三世杵屋勝吉。別派初代家元。
大正から昭和初期に神田明神下に住まいし「同朋町のお師匠さん」として名をはせた。戦前のうちに武蔵野市吉祥寺に移転。
師匠番として後進を指導し、松緑劇団の立三味線を勤めるなど歌舞伎や舞踊の舞台に出演するほか、アラカンこと嵐寛寿郎の映画に音楽監督としても参加。
明治の文人・鶯亭金升の日記にも交遊が記されている。 |